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戦国歴史散歩
   
新渡戸稲造著「武士道」を読む
 
 この本が、1898年(明治31年)、新渡戸稲造37歳の時に、英文で書かれたとは驚きである。明治の知識人のエネルギーには驚かされる。たった20〜30年で政治・経済・文明の近代化、列強の仲間入りを果たしたエネルギーの根元には、「武士道」があったからだろう。
 ルーズベルトがこれを読んで感銘し、日本への友好の念から、日露戦争後のポーツマス講和仲介の決断をしたというから、この本の影響は甚大である。
 江戸時代300年という天下太平期に、剣道各流派道場が発達し、史記、戦国策、資治通鑑などが武士の必読書とされ、朱子学が発展し、なおかつ大和魂がこんこんと醸成されていたというのは、中国や朝鮮と比べても特筆に価いする。日本人には、負けず嫌いで研鑽と努力を積み上げるというDNAが、古代から受け継がれているのだろう。本場中国より優美で緻密な仏教建築物、漢字が輸入されるや、かなを発明し、かな交じり文に応用してしまう。儒教も江戸時代の日本で、中国より高度に発展普及し、古代中国の歴史の学習も日本の武士階級において、本場よりよくされたと思われる。
 武士道の源泉は、確かに、神道、仏教、儒教から来るのだろうが、私の驚きは、新渡戸稲造ほどの国際派、平和主義者、キリスト教理解者たる知識人でも、天皇を「天上の神の代理人」、現人神と思考していることだ。維新後30年で、「国家神道」はここまで浸透していたのかと、宗教の強制感化の影響の恐ろしさを感じざるを得ない。
 日清戦争直後、日露戦争直前に書かれたこの本で、他民族、他国民への愛の大切さを謳い、「現在、戦雲が日本の水平線上に垂れこめている。だが平和の天使の翼がこれを吹き払ってくれることを信じよう」「生まれながらの権利である平和を売り渡し、産業振興の前線から退いて、侵略主義の戦略に加わるような国民はまったくくだらない取引をしているのだ。」(17章)と述べているのは驚きだ。
 明治維新の失敗は、欧米の物まねをし過ぎて、日本人のアイデンティティを忘れ、植民地主義に走ってしまったことだと思うが、この時代に、新渡戸が、「日本は植民地主義をやめて、アジア諸国と対等友好な関係で植民地解放の独立支援戦略を取るべきだ」とまで述べていれば、それこそ驚異的なことであるが、残念ながら、その次の文章は、「近年の日清戦争において、日本は村田銃とクルップ銃のおかげで勝ったのではなく、・・・鴨緑江において、あるいは朝鮮や満州において勝利を勝ちとらせたものは、父祖の霊魂であった。」と述べているだけなので、これが、この武士道を書いたときの新渡戸の思考の限界なのだろう。
 新渡戸稲造の時代ですら、衰退しつつあった武士道は、太平洋戦争の敗戦で完膚無きにまで捨てられた。
 しかし、それから60年を経た今、この新渡戸の「武士道」がもてはやされているのは、新渡戸が予言したように「不死鳥のように」よみがえりつつあるのだろう。
 武士道の根底にある、日本人のアイデンティティたる道徳倫理観は必要である。それがなければ日本人は、グローバル社会の中で方向感もなく漂うだけで、倫理観無き犯罪の多発国家に陥ってしまうであろう。
但し、これからの倫理観は21世紀にふさわしい、自由、民主的、平和的で、個人のユニークさを尊重するものであるべきで、未だに国家神道の呪縛から逃れられず、靖国公式参拝にこだわっている人たちに、それをゆだねるわけには行かないだろう。
2004年3月記
   
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