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戦国歴史散歩
   
岐阜城
 
 岐阜も米原から30分程東海道を戻ればよい。岐阜城は安土へ移る前の信長の居城である。これまた当時宣教師フロイスをして驚嘆させたものである。信長が岐阜と命名する前は、斉藤道三の稲葉山城であった。稲葉山城は難攻不落の城と言われたが、結局落ちた。稲葉一鉄をはじめとする美濃三人衆が寝返ったからである。その寝返りの原動力となったのが墨俣一夜城である。信長はここで秀吉の能力を見抜き、信じられない程の大抜擢をした。経歴も学歴も派閥のコネも何もない秀吉の、武ではなく知恵の能力を見抜いての抜擢は日本の歴史全体をながめても稀なことで目をみはるものがある。

小説では秀吉が夜陰にまぎれ山頂付近から攻め入ったとされているが、それがどれほど困難なことかは現地で地形を見ればよく分かる。

 稲葉山は安土山よりはるかに峻嶮であり、山頂には華麗なる天守閣が再建され、見上げる者を圧倒している。フロイスが驚嘆した麓の城郭の辺りは今は興醒めのロープウエー乗り場と動物園、公園となっているだけで残念ではあるが、田んぼしかない安土城の城郭跡に比べれば城郭らしき石垣は残っており城跡らしい雰囲気は残っている。

 山頂の天守閣に立つと、長良川の下流域、尾張や伊勢湾までが一望の下に見渡せる。これまで尾張と美濃は相当離れていると思っていたが、ここから見ればなるほど近い。桶狭間で今川義元に勝利したとは言え、この城を落とさなければ、信長が京に上ることが無理であることは一目にして分かる。

 信長はこの城に9年在城し、この城から姉川の合戦に出陣し浅井・朝倉軍を破り、この浅井朝倉と結託した比叡山を焼き打ちにし、長篠の戦いで鉄砲と馬防柵を駆使し武田勝頼を破った。

 その日は城の真下の、露天風呂から城を見上げることができる長良川沿のホテルに泊まり、鵜飼いを宿の目の前で見た。鮎の陶板焼がおいしく子供達はご満悦であった。
   
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