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2004年の感想
 
 元旦に、寺(新井薬師)と神社(明治神宮)の両方に参拝して来た。そうすることにより、心も改まり、願い事も叶うような気分になる。別に仏教と神道の宗教心からではなく、日本人の一種の習俗としての行動である。
 日本人はおそらく飛鳥時代から江戸時代までの約千年間、神社も仏閣も両方に違和感なく拝んで来たのであろう。明治維新という日本の歴史においては稀に見る迅速かつ徹底した近代革命では、民主主義憲法、英国型立憲君主制に進むべきであったのに、千年前の国家神道と王政復古、廃仏毀釈までやったのは、全く歴史の流れへの逆行であった。これでは坂本竜馬も生きていれば嘆いたであろう。これがその後の自由と民主主義の抑圧、戦争批判の抑圧となり、悲惨な敗戦へとつながった。靖国神社には戦争推進という特別の意味があり、それ故、小泉首相という国家機関の参拝には、中国、韓国が反発する。真に政治経済改革を唱えるなら、歴史に逆行する行動はとらず、個人的、習俗的な初詣にとどめるべきだと思う。
 近代日本の誕生とともに、江戸時代の諸国が単なる県となったように、インターネット時代には、もはや国境は不要である。ハイテクノロジーは、瞬時に、地球上のどこにでも情報を伝え、物の需要と供給や資金の流れを地球規模でコントロールすることを可能にした。もうすぐ、国ごとの法律、関税や貨幣の違いは不便なだけの代物となるであろう。
 テクノロジーと経済の分野はそこまで進んでいるが、人間の意識の方は、旧態依然のままである。
 古い古い習俗や宗教にとらわれ、その習俗や宗教で結びついた民族が、熾烈な争いを繰り返している。現実に、ある秩序で居住してる人間の集団ないし地域に全く別の習俗の人間集団を大量に投入すれば、それだけで両者間にとてつもないストレスが発生する。どちらかが武力で他を押さえつけようとすれば抜き差しならぬ対立と恨みが発生する。
 先祖代々住み暮らした地域に安住し、古い習俗や古い宗教を大切に守って行きたいという超保守的性向は、人間の遺伝子に組み込まれた、かなり根元的なものであり、それを前提に統治というものも考える必要がある。
 他民族を武力だけで押さえつけようとしても無理なことで、そのような統治は、必ず失敗しているのが歴史の示すところである。
 アメリカによる戦後の日本統治が成功したのは、日本人が渇望していた自由と民主主義と平和を与えてくれたこと、日本国内に熾烈な民族的宗教的対立がないこと、もともと日本軍部が、むき出しの武力で他民族や日本人自身を支配しようとしていたが、自分でもどうしようもない位に行き詰まっていたことなどがあるのだろう。
 イラクではどうか、国内に熾烈な民族的宗教的な対立があり、そのような土壌では自由や民主主義や平和主義は根付きにくい。逆にアメリカのむき出しのエゴイズムや宗教や習俗への抑圧をイラク人が感じてしまい、暴力の連鎖が抜き差しならなくなるのではないだろうか。
 それにしても、世界のグローバル化はもはや避けられない。習俗や宗教の違う人間の交流も避けられない。競争の激化や貧富の格差も避けられない。そのストレスから犯罪が増えるのも避けられないだろう。
 犯罪も力だけで押さえることは無理で、経済的弱者への思いやりや、人の物を盗んではならない、人を傷つけてはならない、人知らざるをうらみず、仁や徳を大事にするといった倫理感を養成する大運動をやる必要があると思う。さもないと、科学文明だけは発達したが、人間社会は滅びるということになりかねない。
2004年1月記
   
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