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宇宙の法則・人類の営み・道徳の必要性
 


 宇宙が誕生してから150億年。

 太陽が誕生してから50億年。

 地球が誕生してから46億年。

 宇宙の果てまでの距離が150億光年。

 1光年は約10兆qでこれに150億をかけたq、これが加速度を増しながら膨張している。  原子1個の大きさは1oの1000万分の1、原子核はさらにその10万分の1。  宇宙全体の90%は水素。3個のヘリウムから1個の炭素、炭素とヘリウムが反応して酸素ができた。  星が寿命を終え大爆発しまき散らかされた元素の霧が再び集まって出来たのが太陽や地球。  人間の体は水を除けばほとんど炭素。蛋白質も炭素の鎖。名もない星が100億年かけて作った炭素が、その星の死滅によって、太陽や地球に生まれ変わり、人間を誕生させた。人間も死ねば炭素に戻りまた100億年後の後世に別の星へと生まれ変わる。 このマクロからミクロまでの複雑怪奇な構造を一体誰が考え作り出したのか。全知全能の創造主=神が宇宙の外にでもいるのではないかと思わざるを得ない。

 地球誕生から6億年後に生命が誕生し、11億年後に光合成をする植物が酸素を発生。26億年後に酸素が大気中に。42億年後にオゾン層形成。44億年後に恐竜が登場したが45億年後には絶滅。500万年前に猿人が現れ、今の人類はわずか1万年前に登場。  この地球に人類が住めるようになるまでに45億9999万年もかかったというのに、人類は、この数十年で、オゾン層を破壊し、有害物質や二酸化炭素を大量放出し、自らの生息環境を破壊しつつある。  太陽の寿命は100億年。1億年に1%明るさを増しており、あと5〜10億年程度で地球は灼熱地獄となり水分はすべて蒸発し、人類も全ての生命も死滅する。その太陽も地球をのみこんだ上、50億年後には大爆発して消滅する。それでも銀河系や宇宙は生き続ける。しかしあと150億年程度で宇宙そのものも消滅する。そしてまた新たな宇宙が誕生する。

 人類が生息できる環境はせいぜいあと数億年程度しかないのに、それすら急速に短縮させようとしている人類とはずいぶん変わった生き物ですね。  色・形のあるものはいずれ消滅し永遠不変なものはない。強欲をもってもしょうがない。不安をもっても意味がない。宇宙の創造主なるものがいるかどうかは分からないが、この神秘なるものを神と名づけ、これに畏敬の念を持つことにより、自ら謙虚となれ。そうすれば他者に慈愛を施すことが喜びとなり、不安は消えると述べるのが宗教。  食うか食われるかの競争をやめ、生産手段を共有とし富を平等に分ければ人類は皆幸福になれるじゃないかというのが共産主義。

 しかし、人類の歴史を見れば、宗教が期待するような強欲のない慈愛に満ちた社会になったことはないし、働いた結果としての富が自分に帰属しなければ人は働こうとせず、共産主義は失敗した。  どうも神(創造主)は、人間のDNAに、欲望・向上心・競争心といったものを組み込んだようだ。これがあるからこそ、創意工夫努力をして、より高度な技術を使い、他者より多くの富を得ようと競争する。勝ち組となった小数者に富は集中し、大多数の者は不幸となる。 DNAを加工して欲望と向上心を取り去ったらどうか。蜜蜂のような生活を滅亡の日まで続けるだろうが、DNAに競争心を持った生物に早晩絶滅させられるだろう。 向上心や欲望は進歩の元であり、これは取り去らない方がよい。宇宙が無から発生し膨張し破裂して無に帰り、またそれを繰り返すというものである以上、人間の経済活動も、人類の存在そのものもまた同じであることを前提にするしかない。 幸い人間のDNAには、理性や抑制心というものも組み込まれている。これをうまく働かせて競争による富の過度集中の弊害を緩和する方法を考えるしかない。その方法の一つが、道徳である。  資本主義はプロテスタンティズムの倫理と調和して始まったが、グローバル化した現代においては倫理や道徳など見る影もない。 今ある技術を最も合理的に配分して使い、生産される富を最も合理的に配分すれば、人類は皆、十分楽に暮らせるのに、高度な生産技術は偏在し、それ故に経済不況に苦しむ。富は偏在し、あり余った富が暴走して人類の大半が貧困に苦しんでいる。 宇宙の原理や原子の構造まで解明した人類ともあろうものが、なんと愚かなことを。  グローバル化は、富を集中させることにのみ使われ、配分のためには全く使われていない。競争は放っておいてもできるが、合理的配分となると、全知全能の神にしかできず、人類はお手上げ状態である。しかし、もし全知全能の理性ある者が最も合理的に配分をしてくれた途端、人類は努力することを止め、腐敗堕落して滅亡してしまうのだろう。神はそこまで考えて、人類を無駄に競わせ、慢心と挫折感とを交互に味合わせているのかも知れない。

ここは自ら努力し、 強欲と競争を少し抑え、慈愛による配分を少し増やす。それを人の心に訴え自発的に促すのが道徳(仁の心)であり、その方が結局利(理)にかなうと説くのが経済学であり、その制度を作るのが政治であり、極端な違反者を罰するのが法律である。

それでも、富の集中がふくらみ泡と消えることの繰り返しが、宇宙の法則と同じである以上、防ぎようがない。その弊害を少しだけ緩和する方法に過ぎないが、これすら今の人類には全くできていない。人類全体で見ればお金は有り余っているのに人類の大半は貧困にあえいでいる。いまはまず道徳から始めよう。

人生の目的は仁であり、

政治経済法律の目的もまた仁である。

   
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