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2001年暑中見舞い
 
「暑中お見舞い申し上げます。 IT革命、高支持率の経済構造改革、まるで明治維新のような期待が高まっています。明治維新は本来的には近代市民革命ですが、王政復古と国家神道は歴史への逆行でした。その逆行部分が肥大して大戦争へと突入しました。構造改革と国家神道の不釣り合い、歴史への反省がないと、また愚かな歴史を繰り返すことになりかねませんね。暑さ厳しき折柄、皆様のご自愛を念じております」

 インターネット暑中見舞いでは、もっと詳しく書けるところがありがたいですね。

 18世紀の産業革命と同じように、21世紀のIT革命も、一時的な停滞はあっても、着実に進行し、誰にも止められないでしょう。  IT競争が地球規模で進展し出せば、経済構造改革も地球規模で起きるのは必然です。国家すら不便でしょうがない、無くしてしまおうということになるでしょう。

 日本では、ルーズベルトのニューデイル政策を、族議員と高級腐敗官僚とゼネコンなど旧来産業家との癒着汚職構造を伴いながら、たぬきしか通らないところにスーパー林道を造ったり、無目的ダムを造ったりして、いつまでもだらだら続け、今や国家、地方、外郭団体を併せた公的債務は1000兆円というとほうもないものになりつつあります。宮沢大蔵大臣自身が財政破綻の危機と述べ、このままでは国家破産、ハイパーインフレが来るということも叫ばれています。

 どんな内容にせよ、経済構造改革はもはや待ったなしの臨海点にあるとの危機感は国民の大多数が持っています。そこで登場したのが小泉内閣で、その経済構造改革に85%の支持率が集まったということは、明治維新を期待している国民も多いということだと思います。

 しかし、明治維新にも大きな間違いがありました。
 一つは欧米の物まねの植民地主義であり、もう一つは近代革命とは相入れない古代制度の王制復古と神社神道を国教としたことです。

 天武天皇(大海の皇子)は、672年の壬申の乱で吉野から美濃へ逃げる際、伊勢神宮に参拝し、乱が成功したので天照系神社を崇拝しました。天照大神の霊威を受け継いだ神の子孫が天皇であるから絶対服従せよとの「現人神」の思想を作り、「人民を教化するため」記紀編集発端の詔を出し、それが、712年の古事記、720年の日本書紀となりました。家系を紀元前600年まで遡らせ、神話と結び付けたのは、自ら起こした乱後の権威を高めるためでした。中国では紀元前600年にはすで神話どころか現実の春秋戦国の歴史や思想が、文字として残されています。
 日本のその後の天皇は、神社より仏教と寺(持統−薬師寺、聖武−東大寺)を重視してきました。

 明治維新という近代革命において、1000年前の神話を復活させたのは明らかに歴史への逆行でした。しかしその逆行部分が肥大化し、神社を優遇し、神仏分離令から廃仏毀釈へ狂信的にエスカレートし、興福寺の五重の塔まで250円で売りに出したというのは狂気の沙汰というほかありません。

 神格性と政治権力の一致のこわさ  復古の詔は、祭政一致、国家神道、神話教科書、国民の祝日としての天長節、紀元節、新嘗祭、神武天皇祭を制定させましたが、当初人々は、盆や節句を優先し、誰も祝わないので警官が強制して歩きました。しかし宗教的宣伝教化はこわい、いつの間にか神話ヒステリー国家となり、皇道派が軍を牛耳り、天皇(神)の統帥権をほしいままに濫用しました。軍部への批判を許さないために、神の絶対性を利用し、神話批判や天皇の祖先の歴史を語ること自体が不敬罪(早稲田大学教授津田左右吉「神代史の研究」1913年が満州事変後1940年に起訴発禁)とされ、皇室の歴史の科学的研究すらタブーとなりました。
 その結果、非合理主義、精神主義が横行し、厳密な科学的合理的情勢分析をしない風潮が蔓延し、経済力、武力、戦闘続行能力、外交力等の正確な対比分析を何もせず、世界の大半を相手に無謀な大戦争へと突入しました。
 批判の自由や斬新な発想は許されず、アメリカと戦争するなんて無茶だと考えた知識人はいましたが(山本五十六もそう考えてた一人)、そのようなことをおくびにも出せば殺されるという風潮で皆黙ってしまいました。
 構造改革と国家神道、なんと不釣り合いな組み合わせでしょうか。神話復活の教科書が出たり、個人として参拝するのは自由ですが、あえて「総理大臣として靖国参拝する」というのでは、また愚かな歴史を繰り返すことになり兼ねないのではないでしょうか。
   
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